自意識がきもい
自意識がきもい
他者の目を気にして「自分はこう思われたい」って意思を持った文章がキモい
昨年亡くなった二人の友人のブログを書いたとき、なんだかその個人といかに仲良かったか、もしくはこんなエモい感情になったんだといった、自意識が感じられてキモくてすぐ非公開にした。
人間とは本当に業が深い。
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ご無沙汰してます。
役職が上がれども、我が暮らし、楽にならず、じっと手を見る
そもそもこの会社は給料が低いし、退職金も低い
なのに不安定で、将来まともに生きていけるのか、不安しかない
はっきりいって異常だ
銀行員を辞めて、今年の春には年収が倍になる一流企業からの転職の話も断った
なぜなのか、その先の人生が楽しそうじゃなかったからだ
元銀行員、一流企業の転職の誘いを断る。聞こえはいいかもしれない
けど僕から見えていた未来は
終わってる街で終わってる愛想笑いを振りまいて、理不尽なストレスから自分が崩壊していく未来と
男に囲まれ、夜勤をし続け、残業をし続け、お金はあるが愛のない、満たされてるようで満たされていないおじさんになる未来だった
だから僕はその道から外れて、何も見えない道に進んでいっている
正直いってちびりそうなほど不安だし、未来が見えないことに希望を見出す以外にこの道を進むメリットなんて本当にないと思う
見える安定した未来より、見えない不安定な未来に可能性を感じてしまう自分がいる
これは一種の病気なのかもしれない。でも無理なんだ。見える安定が。
だからもしかしたら、今の会社で未来が見えたとき、そのときは僕がここを去るときで、そのときにはもう何もかもが手遅れになっているのかもしれない
来年30になる
正直いってやばい。若いから何とかなるだろうという時期は終わる。じゃあ今の僕に何が残っているのか、何も残ってはいない
どこでも通用するビジネスパーソンになりたい?
そんなの後付けの理由だ
僕はただ、見えない未来が見たいだけなんだ
それを人は馬鹿だというのなら
はっきりいって僕は馬鹿だ
LOSER
「一度逃げた人間は次も必ず逃げる」
はっきりいって僕はずっと逃げてきた
そもそも逃げることが悪いことだとは思ってない
ただ今回、3年半前に転職した今の職場からも逃げようとしたところで、前職の上司がいった言葉を急に思い出した
「次は自分が決めたところなのだから絶対に辞めるなよ」
確かにそうだと思う。自分で決めた。人生のハンドルを自分に取り戻すために。
しかしその道は想定外の連続だった。そもそも東京の道を走るはずだったのに今でも大阪の道を走ってる。二度と来ない20代を東京で暮らすことは、叶わなかった。そして、一人暮らしはとても寂しいものだった。
そうはいっても、戦時中に生まれた若者は戦地に往かなければならないのと一緒で、僕はこの道を進むしかない。抗うことはできない。来年には30歳だ。
自分で道を切り開くほどのスキルもアイディアもエネルギーもない僕は、今はただ命乞いのように仕事に取り組んでいる。
正直今の道は自分が本当に進みたい道ではないことはわかる
だが同時にそもそも自分が本当に進みたい道がわからない
自分を欺くための逃げ道すら失った人間は、一体どこにたどり着くのだろうか
奇跡なんておきません
奇跡なんておきません
何者
何者にもなれないまま、ここまで来てしまった
あと一年、というか今年いっぱい、何者にもなれなかったら、僕はしぬかもしれない
別にメンヘラとかじゃなく冷静にそう思う
自殺か他殺かとかそういう物騒な話じゃなく
「殺」じゃなくて「死」の話
それは社会的な意味かもしれないし、精神的な意味かもしれない
毎日寝不足で怯えながら仕事して、休日は何もする気が起きずに寝たきりで
確実に何かの「死」に向かっていってると思う
昔、おかあさんがよくいってた
「人間は29歳と〜ヶ月と〜日まで成長する」
何を根拠にいってるのかわからないけど、その日がおそらく年内にまで来ている
漠然とだけどその日が僕の中で一つのマイルストーンだったことは間違いないし、現状その先には何も見えやしない
誰も見てない前提だから赤裸々に書くけど、僕はおかあさんの子どもとして生まれた時点でこの人生の個人的な目的は終わってるんじゃないかと思ってる
それだけおかあさんに全力で愛されたし、僕もおかあさんを愛した
もうずっと何かが飽和している状態で、そこから先はあてもなくブレーキの利かない線路を滑り続けてる感じだ
おかあさん以外の女性への愛だとか、セックスだとかへの気持ちはここ3年で枯渇してしまって、正直今は誰ともセックスしたいと思わない
めちゃめちゃ気持ちわるい一言を書くと、おかあさん以外の女性に対して女性不信になってるのかもしれない
もちろん呪いのように自分が要所要所で至らなかった事実も大きいし単純にタイミングの問題も大きかったと思う。でも今はそんなことどうでもいい、結果的に、僕はこんなところに来てしまった
最近は特に頻繁に「おかあさんに会いたい」と思うし、20代を東京で過ごすという夢砕けた今は「広島に帰りたい」とも思う
決死の覚悟で飛び移ったはしごも、結局ゴールには通じていなかったのだ
よれよれのパンツのゴムみたいになった僕の人生は、この世界に必要ない
今年限り、今年いっぱいで、何者にもなれなかったら、僕はしぬんだ
摩天楼
おかあさんと暮らしてた頃に戻りたい
そんな呪いの言葉を口に出しそうになるくらい、この4月からの僕はモチベーションを失っている
仕事のというよりは、生きるモチベーションかもしれない
どれだけ連休があっても何もしないし、社会的なことだけでなく趣味的なことも何もやる気が起きない
僕が神様ならそろそろ天国に戻す頃だろう
週末、おかあさんと東京に行った
二日目にはかっぱ橋に行ったのだが、僕はそこで東京スカイツリーを見た
スカイツリーを見たのは、転職を決意した3年半前以来だった。
あの日はあんなに輝いてたスカイツリーも、その日は雨雲に隠れたり出たり、はっきりとは見えなかった
それはとても皮肉なものに思えて、まるで現在の僕を暗示しているかのようだった
あの日見た自由な世界の象徴としてのスカイツリーを、いつしか僕は見失っていた
スカイツリーを見えなくしてたのは雨雲だけでなく、歩いてる道の蛇行によってビルに隠れて見えないこともあった。でも歩く道はそれしかない
スカイツリーはそこにはある。そこにはあるけど、見えなくなりかけている
スカイツリーがなくなることはない、だがそれを見失い、諦めたら、そこにたどり着くことはできない
僕は本当に、スカイツリーにたどり着きたいのだろうか
報われない日々に、あの日の決意すら見えなくなってきている
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三連休、何もする気持ちなれず、ミイラのように横たわっていた
何のために生まれてきたんだろう
そしてまた平日は始まって、僕はまた少しずつ命を縮めていく
こうやって人は死んでいくのだろうか
別に奇跡を待ってるわけじゃない
何気ない日常を愛せる人生が送りたいのです